日本最年長の銭湯絵師、はじめての1年
――勝海さんにとって、丸山さんはどんな「師匠」ですか?
勝海 私、怒られたことがまだ一度もないんですよ。本当に優しいんです。
丸山 だってそんな怒るようなこともしてないしさ(笑)。
勝海 いや、結構失敗も沢山してるんです。でも、「俺がやっとくからいいよ」って言ってくださるんです。
――「職人の師匠」って厳しいイメージがあるのですごく意外です。
勝海 私もめちゃくちゃしごかれると思ってました(笑)。
――「師匠」と「弟子」というそれぞれに対する考え方や関係性は、現代ではとくに変わってきているように感じるんですが、丸山さんはそう実感することはありますか?
丸山 全然ないなぁ。私の師匠が本当に厳しくなかったからね。当時、私の助手として入社した年上の後輩相手にも敬語使っちゃうし、やりにくかったくらいだから。
勝海 師匠はいい意味で放任主義なところがあって、一歩引いたところで見ていてくださるんです。教えるときも「私はこう思うよ」というスタンスで、接し方に世代を感じさせないようにしてくださっているというか。
丸山 私の師匠も手取り足取りは教えてはくれなかったからね。だから覚えている師匠の言葉とか、出来事とかもないんだけど(笑)。
――一同(笑)。
丸山 ただ「見て盗め」とは言われてた。だから私も、ああでもない、こうでもないとは言わないね。結局は描く数をこなさないといけないから。
でもね、今はなんせ現場が少ないの。だから本当はもっと教えてあげたい。そんな難しさもあるよ。これからどういう風に私の技術を伝えていくかは考えないとね。
勝海 私の将来も真剣に考えて、この一年なんとか教えてようとしてくださるんです。もう嬉しいというしかないですね。
――なんだか、お話を伺っていて、抱いている師匠と弟子のイメージとは全然違いました。
丸山 私にとっては娘みたいなものだよ。自分の孫もいてさ。孫も多摩美にいっててね。たまに3人で描くんですよ。何というかさ、楽しいよね。
この間も雪印さんのキャンペーンで一緒に銭湯絵を描いたの。誰かと二人で描くことも、昔に中島と組んで以来だなぁ。そういえば、墨田区の御谷湯(みこくゆ)というお風呂屋さんで浮世絵も描いたし、最近は浮世絵を頼まれることが増えたね。今月に末広湯(葛飾区)ってとこでも描いた。
▲パソコン画面に映る銭湯絵を見ながら、「御谷湯(みこくゆ)の絵はお孫さんと三人の連名だ」ということを教えてくれた
丸山 そんなこと今までなかったから、嬉しいよね。へへへ。
――丸山さんにとっても、初めてのことが沢山あった1年だったということですよね。
丸山 そうだね。やっぱり、私の技術を受け継いでくれる人がいるってことが初めてだったからね。
銭湯絵の未来は暗くない
――丸山さんはこれから銭湯絵にどのように関わっていきたいと思いますか?
丸山 結局、これまでのことの繰り返しよ。特別なことは何もない。奇抜なことしてもだめなの。
銭湯絵もそうで、特別なものを描いたとして、そのときはいいんだけど結局飽きるんだよ。結局シンプルな湖と海が一番心に長く残るし飽きないんだよ。
中島は結構派手で奇抜なのを描くんだけどね(笑)。
――(笑)。淡々と、息を吸うように今やれることだけを考えてやれば、結果それが長く残る、と。
丸山 うん、そう思うよ。
個展のときは、朝日や夕日とか描きたいように描くけどさ。本当は暗い絵が好きなの。もう何十年も銭湯絵を描いてるからその反動かもね(笑)
――勝海さんは以前、「新時代の銭湯絵師になりたい」と仰ってましたよね。勝海さんが思う新時代の銭湯絵師とは、どのようなものを思い描いてますか?
銭湯絵は銭湯の中にあるものですけど、もしかしたら、それは時代が許さないのかなと思っていて。
銭湯で描きたいという思いはもちろんあります。でもそれ以外のところに目を向けたら、個人のお店や老人ホームなど、新しい場所で描ける可能性というのはまだ広がっていると思っています。
――お風呂がなくなることはないですしね。
丸山 そうだね。老人ホームの方々なんかは昔の銭湯をよく知ってるから、懐かしいって喜んでくれるんだよ。
勝海 藝大にいるおかげで、いろいろな人にアイデアをもらったり、海外の方と接して日本以外での可能性や需要についても考えられるようになりました。
飛行機や電車、駅に描いたり、自分が想像してなかったような切り口がいくらでもあると思っています。
丸山 この間、嬉しいことがあってさ。立川の小学校で地域の発展に貢献する授業があって、子どもたちが「銭湯を盛り上げよう!」と言い出したんだって。それで意見を出し合った結果、銭湯の劇を作っちゃったんだよ。
勝海 丸山さん役が3人いましたね(笑)。
丸山 私もイベントに参加して、富士山の絵を描く教室をやったんだ。そしたらみんな積極的で驚いた。引っ込み思案な子たちも私が富士山を描いていたらすごく楽しそうにしていて。今はモノレールのボディに銭湯絵をラッピングしようと、市と交渉してるっていうんだよ。
――すごい! 銭湯絵を描く機会は減ったとはいえ、未来は暗くないですね。
丸山 ほんとにそう。個展でも子どもたちが私のところに駆け寄って来てくれて。
勝海 みんな師匠の隣を奪い合うくらいでしたね(笑)。
丸山 そこで子どもたちにインタビューされて、「自分の絵は何点?」という質問に「うーん、90点かな」って答えた。子どもたちが不思議がってたから、「100点は職人さんみんなが目指すんだけどね。でも100点とっちゃったら終わりなんだ」って言ったんだよ。
そしたら、生徒たちが親にテストの点数を見せるときに「100点ってのはないんだから!」って言うようになったらしくて。おかしくて大笑いしちゃった。
「型を覚えてからこそ、型破りがある」
――お二人にとって、銭湯絵の魅力ってなんでしょうか?
丸山 なんだろうね。わかんない(笑)。でも私はこの仕事を選んで本当によかったと思いますよ。定年がないから、生涯現役でいられるもの。
勝海 天職だって仰ってましたもんね。
――これだけ長く銭湯絵を描かれて、ちょっと飽きたなって思うことはなかったんですか?
丸山 それがまったくないんだよ。やっぱり好きなんだろうね。全然苦にならないからさ。仕事以外にも自分の個展のための絵をずっと描いてるしね。
勝海 私は銭湯そのものが好きというわけではないんです。湯船に浸かりながら、人と同じものを眺める。それって銭湯絵以外にはなくて、それがこの世界に魅力を感じた理由なんです。まだ学んでいる最中なので、魅力を語れるほどでもないんですけど。
私の好きな言葉に、「型があるから型破り」というものがあるんです。だから、やるからには本気で師匠から学んで、この魅力をもっと広く伝えられるような人間になりたいですね。
――最後に、この場を借りてお互いに聞いてみたいことはありますか?
勝海 ではひとついいですか?
私は弟子になる前にお手伝いさせてもらっていたときも、自分から弟子にしてくださいとは言えなかったんです。丸山さんの人柄からして「いいよ」と言ってださるのはわかっていたんですけど、厚かましいような気がして。師匠が自分から言ってくれるまで待っていようと思ったんです。
勝海 でも、あるイベントで師匠が私をお知り合いに紹介するときに、「この子、弟子なんだけど」ってふいにおっしゃって。
私はそれが嬉しくて帰り道でちょっと泣いてしまったんです。師匠はいつから私を弟子にすると決めていたんですか?
丸山 教えるなら弟子になってもらわないといけないからね。生半可な気持ちでも困るしさ。
麻衣ちゃんは来たときから本当に熱心でね。一生懸命メモして、私のあとをずっと付いてくるんだよ。すごいなと思って、これはちゃんと教えなきゃなってね。
丸山 以前、制作の時間が本当に間に合わなそうなときがあって、麻衣ちゃんがとっさに「私、描いていいですか」って言ってくれたんだけど、本当に助かった。あれはすごく覚えてるね。やっぱりこの子は大したものだと思ったよ。
勝海 実は空以外の部分を塗らせてもらったのは、あのときが初めてでした(笑)。
――そうなんですね!(笑)。では丸山さんの中では最初からお弟子さんとして教えようと思っていた?
丸山 うん、そうだね。
勝海 そうだったんですね……。嬉しいです。
――丸山さんが勝海さんに聞きたいことや、伝えたいことはありますか?
丸山 いや特にないんだけどね(笑)。
――一同(笑)。
丸山 俺から盗めってことだけだね。まぁ、聞いてくれれば教えるしね。
勝海 聞いていいんですか!?聞いちゃダメかと思ってました。
丸山 だめなことあるわけないじゃない。歳が歳だから、知ってることは全部教えますよ。
勝海 はい、よろしくお願いします!
丸山 うん、よろしくね。こちらこそ。
編集者・ライター/ひとを前進させるカルチャーの根っこと端っこを探したいと思っています。好きな銭湯は下北沢の石川湯と京都のトロン温泉、桜湯尊敬する人はHi-STANDARDの横山健さん。
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