銭湯のペンキ絵の富士山を眺めながら熱いお湯に浸かるのは最高。銭湯巡りをしていると、ペンキ絵のある銭湯を見つけると嬉しい。
そんな趣味をかれこれ 6年続けています。いつか銭湯のペンキ絵の制作現場を覗いてみたいなと思っていた最中、ついに……その時がやってまいりました。
埼玉県浦和駅から徒歩 15 分『鹿島湯』リニューアルオープンイベント!
当日はあいにくの雨模様でしたが、ご近所のおじいちゃん、おばあちゃんから小さな子どもたちまで多くのお客さんがリニューアルオープンイベントに参加されました。日本に3人しか居ない銭湯ペンキ絵師によるライブペインティングから、子どもたち向けのワークショップまで、たくさんの催し物が開催。
今回の『鹿島湯』リニューアルにかける思い、『鹿島湯』三代目にお話をお伺いしてきました。
ホームなのにアウェイ!? 浦和にあるのに『鹿島湯』
(引用出典:コピーライター シーモnote https://note.mu/seaaaamo/n/n966d59313d45)
まず『鹿島湯』を語るうえで欠かせないのが、「ホームなのにアウェイ」というキャッチコピーです。
『鹿島湯』という名前は、地区が「鹿島台」というところから由来しています。はじめ僕はピンときてなかったのですが、浦和といえばサッカーの「浦和レッズ」、それなのにお店の名前は『鹿島湯』。なるほど、鹿島といえば「鹿島アントラーズ」がありますよね。
浦和駅にあるのに『鹿島湯』ということで、「ホームなのにアウェイ」というわけです。しっかり地域に根ざしたネタになっていますが、ちなみにこちら、プロのコピーライターが制作したものなんだとか!
実際に、お店の中で一番目立つ真ん中の柱にも、浦和レッズのタオルが掲げられていました!
他にも至るところに、「浦和レッズ」のグッズが並びます。「やっぱり地元ということで、レッズのサポーターにもお店を利用してもらいたい」と『鹿島湯』三代目の坂下さん。銭湯はやはり地域密着。試合の日は、お風呂場でサッカー談義が盛り上がりそうですね。
62年目を迎える『鹿島湯』三代目の思い
その『鹿島湯』は、昭和 31 年 (1956年)12 月1日に開業され、地域の方々に愛されて 62年目を迎える銭湯です。今回のリニューアルにかける思いを、三代目の坂下三浩(さかしたみつひろ)さんにお話をお伺いしました。
「じつは、幼い頃は風呂屋というのが好きではなかった」という、三代目の坂下さん(写真左)。
幼い頃の坂下さんは、「じつは風呂屋というのが好きではなかった」と振り返ります。当時は部活動(野球部)で疲れて帰ってきては、深夜1時に起こされて(大変……)、風呂場の掃除の手伝いをしなくてはならず、風呂屋というのが好きではなかったそうです。しかし、5 年前に転機が訪れます。
お父様が体調を崩され、『鹿島湯』を閉店するかどうかを悩んだそうです。「継ぐべきかどうか」思い悩んでいた時、長年『鹿島湯』を利用されていた常連のお客さんたちに背中を押され、守らなきゃいけない文化だと思い、一大決心されました。
坂下さん
「日本の大切な文化をしっかり残していかなくてはいけない。東京オリンピック・パラリンピックを控え、海外から来られる観光客の方にも、ぜひ日本の銭湯文化に触れてほしい……」
と、今ではその語りぶりは銭湯愛そのもの! 普段から着物をめされ番台にたたれるというのもその心意気の現れなんだとか。その後、体調をすっかり戻されたお父様の厳しい指導もあり、とにかく銭湯をキレイにしようと掃除を徹底されたそうです。改めて地域に深く根ざしたいと考えられ、自治会のパトロールに参加されたり、銭湯の営業で忙しい中、少ない時間でも地域貢献したい、と活動を続けておられます。
今回のリニューアルでも、お客さんの声を参考に、湯上がり後にくつろげるロビーをもう少し広くして、コミュニティの場として活用してもらえればと、それまでの間取りを変え、ドドーンと広い空間が生まれました。今後この広い空間を利用して、子ども連れのお客さんだったり、外国人観光客向けのイベントだったり、今までとは異なるお客さんも集められたらと計画されています。
ちなみにリニューアル前は、玄関の天井部分が低かった『鹿島湯』。
今回天井を解体してみると、なんと開業当初の昔の天井がでてきたそう。たしかに見てみると立派な格子の梁が見えます。ここにも 60年を超える歴史の跡がチラリと。これも三代目の坂下さんが継がなかったら、見れなかった天井だと思うとなんだか、感慨深いですね。古い天井を眺めながら、文化を残すという言葉の重みを感じました。
お待ちかね、田中みずきさんによる「銭湯ペンキ絵」ライブペインティング!
そしてリニューアルオープンイベントの目玉、待ちに待ったペンキ絵のライブペインティングが始まりました。日本に 3 人しか居ないと言われる銭湯ペンキ絵師、田中みずきさん。女性唯一のペンキ絵師で、今後の銭湯ペンキ絵の文化を担う重要な方です。お会い出来て嬉しかった〜〜。
田中さんは、大学で美術史を専攻され、日本現代美術の世界に関心を抱き、現代美術家の福田美蘭や束芋の日本の表現様式を用いた作品に影響を受け、在学中 2003 年に銭湯ペンキ絵師の中島盛夫氏に弟子入りされました。その後 2013 年に独立され、便利屋さんを営む旦那さんと共に、ペンキ絵師として大きな壁面に作品を描かれています。
銭湯の湿度と温度に、普通の絵の具では、耐久性が足りない。
そのため銭湯の壁画には、油性ペンキを使用します。基本的には白色、赤色、青色、黄色が基本色になります。この 4 色を混色しながら、複雑な形と陰影を描き分けます。しかし、ペンキ絵は銭湯の開業時間前や休業日の短い時間で描くために、素早く描かなくてはなりません。そのため、たくさん使う色は、あらかじめたくさん混色して用意しておくなど、事前の準備が必要だそうです。
特に空の部分に使う水色はたくさんの面積を塗るので水色はたっぷり用意されていました。ローラーと刷毛を駆使して素早く描きます。
数々のペンキ絵を仕上げてきた跡が残る道具たち。
一つのペンキ絵を仕上げるのに、たくさんの道具を使います。その道具たちは数々のペンキ絵を仕上げてきた跡が残っています。こうした道具を見るのも銭湯ペンキ絵ファンからすると、嬉しいものです。
実際の制作現場はかなり危険な環境です。幅の狭い足場の板の上を行ったり来たり。下には深い湯船があるため、長い板を渡してスライドしながら描きます。身動きも取りづらく、狭い環境で、素早く描かなければならないので、本当に職人の仕事ぶりでした。
高いところは脚立を登ったり、ビールケースの上に乗って描いたり、ペンキの生乾きの状態で色をぼかしたり素早い仕事が求められます。朝の10時から描き始め、午後2時頃には出来たての富士山が仕上がっていました。
田中みずきさんの描くペンキ絵の富士山は、柔らかで、そして優しさがあります。それぞれのペンキ絵師によって、富士山の色味が異なったり、コントラストが異なるので見比べてみると面白いですよ。
地域のシンボル『鹿島湯』のこれから
今回はリニューアルオープンイベントということもあり、子どもを対象にしたお絵かきのワークショップも用意され、田中みずきさんがあらかじめキャンバスに描いておいた富士山の絵に、子ども達が海の生き物を思い思いに描き、一緒に制作されました。
独特な油性ペンキの匂いと、銭湯の静かな空間での刷毛のかすれる音は、ワ ークショップに参加した子ども達も静かに見ていました。
どんどん描き進められていく画を見ていると、自然と画に引き寄せられていくような不思議な感覚になります。僕も子どもたちと同じように、たった二人でこんな大きな壁面を制作されるエネルギーに感動していました。
「銭湯はその地域の目印だった」と、三代目の坂下さんは振り返ります。
今ほど高い建物のない頃、銭湯の高い煙突は街の中で目印になる建物で、大人にとっても、子どもたちにとっても地域のシンボルとしてその地域の住民に愛される対象でした。 「今回のリニューアルオープンをきっかけに、人が集まれるコミュニティスペース、明るく大きな空間が生まれました。普段の営業中は壁で仕切られていますが、営業時間外はその壁を取り外し、広い空間を活かして、子ども連れのお客様や外国人観光客向けの銭湯体験やイベントを展開できたら……」とこれからの『鹿島湯』の展望についてお話されました。(坂下さんは三代目ブログも書かれていますので、ぜひチェックしてみてくださいね。)
三代目ブログ https://1010-kashimayu.amebaownd.com/posts/3195319
鹿島湯twitter https://twitter.com/1010kashimayu
高層建築がそびえ立つ街で煙突が見えなくなった今でも、地域の人々に愛されその地域の目印になるような銭湯が残っていきますようにと、願っております!
下町を中心に銭湯巡り。富士山のペンキ絵が好物。銭湯お遍路挑戦中の絵描きです。
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