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銭湯、お風呂に関する執筆コラムを掲載。

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僕の家は銭湯で繋がっている――長野県松本市『富士の湯』

〒390-0814 長野県松本市本庄2丁目9−8

取材・撮影:川端一嵩


長野県松本市にある銭湯『富士の湯』。今年で創業84年になる老舗銭湯です。現在は三代目である阿部憲二朗(けんじろう)さん(写真右)が経営されていますが、四代目にあたる息子の憲瑞(のりみつ)さん(写真左)が経営に参加することになっています。

『富士の湯』のこれまでとこれから、そしてあらゆる選択肢があるこの時代になぜ家業を継ぐことにしたのか、三代目と四代目のお二人にお話を聞いてきました!

 

創業者のこだわり、銭湯という作品

▲憲瑞さんが約50年ぶりに蔵から発見した「大入」の看板。脱衣場に飾ってあります。
 
――今日はよろしくお願いします。さっそくですが中を見学したいです!

四代目・憲瑞さん:わかりました(笑)。うちは今年で創業84年。僕の曽祖父の代から続いている銭湯です。長い歴史の間に何度か改装は入ったものの、浴室のタイルや庭など創業当時からほとんど変わらない姿を残しています。

お湯は名水百選にも選ばれる松本の湧水を地下から汲み上げて使っています。煮沸しなくても飲めるくらい綺麗なんです。そして、なんといっても浴室から見える庭。この巨大な岩、富士山から馬で持ってきたらしいんですよ(笑)。

 

▲巨大な富士山岩が湯船から見える。

 

――富士山から馬で……すごい(笑)。タイルも種類がたくさんでこだわりが詰まった銭湯ですね。

四代目:どの銭湯にも、創業者のこだわりは詰まっています。作品みたいなものですよね。うちの店ではそれを大切にしていきたいんです。日常の中で解放感を一番味わうのが入浴だと思います。『富士の湯』という作品を通して、そういった解放感や「日常の中の非日常」を楽しんでほしいです。

 

▲タイルがたくさん!

 

引き継ぎやすい銭湯を作る

――おぉ、銭湯の裏側ってごちゃごちゃしているイメージですけどシンプルで見やすいですね。

三代目・憲二朗さん:裏の設備システムは効率化を目指して、これまでに4回ほど変わっています。業者も県内にはいないので、なるべく自分たちで対応できるシステム作りに努めています。それに、これから店を残していくためにも人に教えやすい仕組みが大切ですよね。「簡素化・簡略化・単純化」が目標です。

 

――後継に向けた仕組み作りは、銭湯を残していくために大切なことだと思います。最近、若い世代でも銭湯を経営したいという人も出てきていますよね。

三代目:若い人に銭湯をやってほしいですね。最近YouTubeやSNSで発信されている方を見かけます。風呂屋をやりたいと思う人がいること自体がうれしいです。

収益で考えたら、やはりやっていくのは難しい時代です。風呂屋をやるには根底に思いを持って活動するしかないので、そんな銭湯への思いを持つ人が全国に増えてほしいですね。経営のためのノウハウだなんだはすべて教えますよ。思いを持って活動するんだから楽しくやってほしいですね。

 

――思いを持って楽しく。では三代目の銭湯への思いはなんでしょうか。

三代目:僕はやっぱり親の姿を見てきたことですかね。家庭風呂が普及していく中で、否が応にもしんどい時を見てきました。もともと継ぎたいという強い意思はなかったんですけど、店を守ってきた親の生き様を見て、なんのためにやってきたのかだんだん気になり始めたんです。

そして、家族が守ってきたこの場所が自分にとっても大切で愛おしく、親の気持ちを継ぎたいと気付いて引き継ぎました。

 

三代目:式亭三馬が書いた「浮世風呂」という本があります。江戸の庶民の生活を、浴場を舞台にして書いたものなのですが、作中に出てくる風呂屋は二階に休憩スペースがあって、湯上りにそこで将棋を打ったり、出前を頼んで飯を食ったりしているんです。

そこではさまざまな人の交流が生まれていて、風呂屋という場所を通して地域コミュニティが確立されています。いつかこの世界観を現代で再現したいですね。

 

僕の家族は銭湯で繋がっている

――銭湯が実家。憲光さんはこれまでどんなふうに銭湯で暮らしてきたんですか?

四代目:銭湯は生まれてからずっと身近な存在でしたね。『富士の湯』は二代目にあたる父方の祖母が経営していた銭湯なのですが、僕は幼いころ島内という今の『富士の湯』とは離れた場所に住んでいました。でも、両親が共働きだったので日中はずっと祖母に預けられていて、銭湯で暮らしていたんです。

よく番台に祖母と一緒に座っていましたね。こっちに引っ越してからは小・中・高と銭湯での暮らしが続きました。だんだん風呂掃除も手伝うようになりましたね。

 

――幼いころから番台に座れるなんて銭湯の息子さんならではですね。昔から『富士の湯』を継ぐことは考えていたんですか。

四代目:いえ、昔は考えていなかったですね。自分は高校からバンドをやっていて、それで食っていけたらなと思ってました。売れたらファンが『富士の湯』に入りに来てくれるんじゃないかとか考えてましたよ(笑)。

大学入学と同時に上京して大学でもバンドやってたんですけど、あまりうまくいかなくて。そのあとですね、実家の銭湯のことを考えたのは。

 

――きっかけはなんだったのでしょうか?

四代目:それまで銭湯を経営していた祖母が亡くなったんです。その時は父が店を引き継いだのですが、無理してまでやらなくていいという話がでて、この店がなくなるかもしれないという実感がわきました。

それからしばらくしてバンドがうまくいかなくなって、自分はこれまで何をやってきたのかなと考える時があったんです。その時に思いついたのが『富士の湯』を継ぐことでした。

小さい時から風呂掃除だけはやっていたし、高校の時もバンドに熱中しながらも風呂掃除の時間になったら帰って、普通に掃除してたんです。特に文句もなくて、違和感なくやっていました。好きなことでうまくいかなくって、「自分に残っているものはなんだ」と考えた時に『富士の湯』だと気付いたんです。それからは『富士の湯』を頑張ってみようと決めました。

 

――なるほど。

四代目:やっぱり『富士の湯』は、自分にとってたくさんの思い出が詰まった場所ですし、僕を育ててくれた祖母が残した場所です。祖母のためにもこの場所を残していけたらなと思います。

それに親の姿を見てきた場所でもあるんですよね。僕は幼いころから父が店を手伝っているのを見てきました。父はほかに自営業をしていてその傍らで銭湯を継ぎました。大変なのに体に鞭打ってこんなに頑張っていて、父にとっても大切な場所なんだなと思ったら自分も頑張りたいと思うようになったんです。

 

――親の姿を見てきた。先ほどお父さんも同じことをおっしゃってましたね。

四代目:そうですね。阿部家はみんな銭湯を介して育ってきました。銭湯は、ほかの家業に比べてお客さんとのコミュニケーションが深くなる仕事だと思います。仲の良い町内の常連さんたちに僕の家は飯を食わせてもらってきたんです。お客さんがあって、僕たちは世代をつないでこられた。

だからこそ、この場所を残してきたおばあちゃん、ひいおじいちゃん、そして父にも感謝をしなきゃなと思っています。僕たち阿部家は銭湯でつながっているのかもしれませんね(笑)。

 

銭湯以外でつながった人を巻き込んでいく

――今後『富士の湯』の経営に関わっていくということですが、なにか行っていきたい活動はありますか。

四代目:はい。僕は今、東京に住んでいて都内の銭湯によく行かせていただいているのですが、ホントに全部の銭湯に勉強になることがあるんです。なので、まずは動きの活発な銭湯を参考にして通常営業での工夫を行っていきたいです。

以前、川口の『喜楽湯』にお邪魔したときにポイントカードをもらったんですけど、タオルやTシャツのプレゼントなどがあってすごくいいなと思いました。『富士の湯』でも、そうしたグッズを作りたいなと考えています。ドンドン取り入れて店のサービスのレベルを上げていきたいですね。

 

――最近は銭湯を使ってのイベントが盛んに行われていますが、『富士の湯』ではどうですか?

四代目:バンドをやっていた時の仲間と、音楽のイベントをやりたいですね。これは自分がやりたいのもあるのですが、銭湯をやっていくうえで、僕が銭湯以外のところでつながった人を巻き込んでいきたいなと思っているんです。

たとえば、今使っている『富士の湯』のロゴは松本にいる知り合いのデザイナーにお願いして作ってもらいました。自分で作ろうかなとも思ったのですが、あえてお願いすることで、それだけつながりが深くなると考えました。

これから作ろうと思っているいろいろなグッズも、デザインは松本の友人達に頼むつもりです。こんな風に地域の仲間を頼って巻き込んでいくことで、銭湯だけでなく松本の町が盛り上がっていく要因になれないかなと思っています。なので普段から松本のいろんなお店に顔を出すようにして、意識的に地域との交流を深めていってます。

実は今着てるTシャツも近くの古着屋のものだったりします。ほんとにいい店多いんですよ、松本って。

 

――銭湯のようなローカルな商売は、それだけ地域とのつながりは重要ですよね。

四代目:ほかにも学割や地域の学生に向けたサービスを行いたいです。料金のサービスは難しいかもしれませんが、ドリンクのサービスや『富士の湯』のグッズをプレゼントして、若い人がお店に来る工夫をしたいです。

自分が中高生の頃にも何度か友だちを連れて『富士の湯』に入ったことがあって、その時の楽しかった思い出が凄く残っているんです。

松本は車社会なので、高卒でほとんどの人が車を持ちます。車が運転できるようになると距離があっても広いスーパー銭湯に行ってしまうので、学生のうちの部活帰りとかに『富士の湯』に寄ってもらって、仲間と思い出を作って欲しいです。

 

地方から銭湯を盛り上げたい

――『富士の湯』さんはSNSも力をいれていらっしゃいますよね。

四代目:はい。主に僕が更新していて、2年ほど前から告知目的でTwitterを始めました。SNSでの集客も効果は出ていると感じますが、他にも良かったことがあるんです。

SNSを始めるまでは「いつまでやれるかなぁ」とネガティブだった父がフォロワーが増えたり、いいねが付いたりするのを見て、だんだん前向きになってきたんです。

銭湯は経営するとどうしても閉鎖的になりがちなので、評価してくれる人たちがいるとすごくモチベーションに繋がります。父とガンガンやっているところを発信していきたいです。地方でもやれるぞ、というのを同じく銭湯を経営されている方に見せたいんです。

 

――単に集客だけではなく同業の方に向けての発信でもあるんですね。

四代目:地方には地方のやり方があると思っています。これまで銭湯業界で影響力のある人は、みなさん東京や関西などに集中していましたが、長野県だといません。僕は一応は20数年間銭湯のことを頭の隅に置いてきた自負はあるので、『富士の湯』だけでなく長野県から銭湯全体を盛り上げる存在になれたらと思います。

 

――地方から銭湯を盛り上げる、地方銭湯好きの自分としては頑張ってほしいです。

四代目:SNSのおかげで全国各地のいろんな銭湯を知ることができています。
人の少ない地域で頑張っている銭湯がたくさんあるので、実際に伺って経営者さんとお話してみたいです。

若い方もたくさんいらっしゃるようなので、若手経営者サミットなんてどうですか(笑)。
地方同士だと距離がありますけど、つながりを強くしていけたら嬉しいですね。
銭湯業界みんなで頑張っていく流れを作れたらと思っています。

 

――それはぜひ聞いてみたいですね。今後、『富士の湯』がどんな発展を遂げていくのかとても楽しみです。今日は一日ありがとうございました!

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川端一嵩

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