プラプラと街を散歩して、汗をかいて、銭湯に入って……
そんな休日は最高ですよね!
この連載では最高の「みちくさコース」をご紹介します。
こんちわー。
銭湯ペンキ絵大好き、美術作家の杉本克哉です。
秋めいてきましたね。今回は、10月のちょっと寒くなって来た頃に取材しました。
今回紹介するのは、京成線町屋駅から徒歩5分、千代田線町屋駅から徒歩6分、都電町屋駅から徒歩7分にある、とにかくアクセスの良い銭湯、『野崎浴場』さんです!
「みちくさ銭湯」では、銭湯に入る前に、その銭湯のそばをみちくさしてから銭湯に入るという企画。
ということでまずは、みちくさからスタートしましょう!
銭湯巡りをしていると、その地域の景色を細かに見ることができて、結構楽しいものです。
さて、町屋駅からトコトコと歩くと、音楽や演劇、展覧会の文化活動の場として活用されている「ムーブ町屋」が見えてきます。
このときは、ちょうど美術展示が行われていました。
ムーブ町屋:https://www.city.arakawa.tokyo.jp/shisetsu/bunkacommu/mubumachiya.html
そして、またちょっと歩くと「泊船軒」という臨済宗のお寺が見えます。
大正12年の関東大震災の後に、移転して建立された歴史あるお寺さん。佇まいが美しいですね。
泊船軒:https://www.city.arakawa.tokyo.jp/kanko/jishajiin/arakawajinja/hakusenken.html
もうすこしお散歩してみると、今度は新しい建物が!
吉村昭記念文学館、中央図書館、ゆいの森子どもひろばが一体になった複合施設の「ゆいの森あらかわ」です。
2017年3月26日にオープンしたばかりの新しい建物で、図書館やキッズルームや、勉強できるような空間だったり、とにかく便利な施設です。
ゆいの森あらかわ:https://www.yuinomori.city.arakawa.tokyo.jp/
では、そろそろみちくさは終了して、銭湯に向かいましょう。
おや、煙突が見えてきた。
街の風景に煙突があるのは風情があっていいですね。
立派な門構えの『野崎浴場』
宮造りの構造を残したままの『野崎浴場』は昭和29年(1954年)に建てられた銭湯です。64年の歴史のある銭湯で、石川県出身の市川俊一さんが営まれております。銭湯経営者は、新潟県、石川県、富山県出身の方が非常に多いんですよね〜。豆知識!
玄関先には『野崎浴場』と文字の入った透かしガラスとお祭りの木札。
傘立てと、入り口のタイル。美しい。
ここ見て!その①ペンキ絵
ペンキ絵大好きライターとしては、ペンキ絵からご紹介したいです。中島盛夫氏が今年の8月17日に描かれたばかり!
以前は中央に富士山が描かれてましたが、今回のペンキ絵は女湯に富士山。
男湯からも富士山見えるのでご安心ください。
ここ見て!その②薪で沸かすお湯
『野崎浴場』の大きな特徴として、薪で沸かしているお湯であるということ。ガスで沸かすほうが温度管理しやすいという利点があるそうですが、燃料は昔ながらの薪。
薪で沸かすと、お湯がやわらかくなるとも言われています。ちなみに温度は44度と、熱めのお湯。(筆者的には)このくらい熱くないとね!
入り口から右手に、バックヤードに続く薪置き場があります。
建築関係の解体屋さんや、内装業者さんが木材を持ってきてくれるとのこと。実は、こうした業者さんが解体した木材を処理するのにもコストがかかるんだそう。しかし、銭湯のお湯を沸かす薪にすることで、そのコストはゼロに。銭湯と業者さんはwinwinな関係で結ばれ、余計な廃材を出さず資源の活用にもつながります。
『野崎浴場』の市川さんの先代は、この薪を集めるのにとても苦労したんだそう。朝5時に起きては、江東区深川の材木所に製材したときに出る木っ端をもらいにに行くことが毎日の仕事の始まりだったようです。
今は業者さんとの提携があるため、もうすこし朝はゆっくりできるようになったみたいですね。
こちらは、燃料の木材をくべる釜。
普段は見られない場所ですが、今回はワガママを言って見せていただきました。これは貴重な写真ですよ!
大きな木材はこの釜に入る大きさに毎回カットをし、火をくべ、やっと44度のお湯になる。その、ありがたみ。
井戸水と薪でできた『野崎浴場』のお湯は、掛け流し。なんとも贅沢。
それが『野崎浴場』の強みでもあります。
ここ見て!その③レトロな機械たち
僕は骨董や古いものが好きなのですが、この空間にもありました。
これ、なんだかわかりますかー?
答えは、ドライヤーです。通常は女湯の脱衣所にあるので、男性は普段見ることができませんが……!
こちらにも、もう一つ。
いいですよねえ。銭湯の風景が映えます。
こちらのマッサージ機もなかなかいい感じ。
疲れた下町の人々の肩を、ここでずっと叩いてきたと思うと、こちらが肩をたたいてあげたくなります。
こうした脱衣かごも最近ではプラスチック製のものが多いので、籐のかごだと、なんだかうれしい。
ここ見て!その④愛される『野崎浴場』展
『野崎浴場』の入り口には一枚の絵が飾られています。
普段ここを利用するたびに、気になっていた絵の存在。せっかくの機会なので、どういったものなのかお聞きしました。
この作品は子どもの頃からずっと通ってくれていた男の子が、高校卒業を機にプレゼントしてくれたということ。なかなか大きなサイズの力作です。都内の美術高校に通っていたという彼の絵は、上手で温かみのある作品。
「あったかたかたか兄弟愛」というキャッチコピーの作品。どうやら、作者さんはいつもお兄さんと一緒に来られていたそうです。思い出の一場面なのかもしれません。
男湯脱衣所には「あったかたかたか親子愛」。
「いつまで親と一緒にお風呂はいってただろう」と、ふと自分の幼少期を振り返る。
女湯脱衣所には「あったかたかたか親友愛」。
作者さんの「あったかたかたか銭湯愛」が伝わる3連作です。
そして、カウンター付近には違う作家さんの作品群も!
こちらは市川さんのお孫さん(姉・小学生)の作品。とってもお上手!
そしてこちらはお孫さん(妹)の作品! なんと「富士山」! 将来はペンキ絵師の後継者か!?
お孫さんにとっても、ペンキ絵の大きな富士山は印象的なのでしょうね。
なんだかいいもの見たなあ。
最後に、嬉しそうに持ってきていただいたのが、この銭湯愛がつまった『野崎浴場』の宝物。
小学生の社会科見学なのか、自由研究なのか。銭湯の取材をしたファイルがここに。
ある意味僕の先輩になるわけです。
ぐぬぬ、すごい取材資料だ!
そして極めつけはこちら。
先ほどの「あったかたかたかシリーズ」の作者が、専門学校を卒業したときの卒業制作だと思われる、『野崎浴場』を取材した、『野崎浴場』ことしか書かれていない世界で1つの取材本!!
涙出てくるな〜。
『野崎浴場』の今後の展望
地域の人々に愛される『野崎浴場』の市川さんに今後の展望をお伺いしました。
市川さんは過去に『第一吾妻湯(荒川区)』、『清吉湯(荒川区)』、『水神湯(足立区)』という銭湯で番頭を経験されています。
さまざまな銭湯の歴史を目にしてきた市川さん、「これからも銭湯文化を残していきたい」とお話しされてました。
「銭湯を継いでもらいたいという気持ちはあっても、それを子どもの世代に託すのは難しい」という現状を前提に、「10名くらいの利用者でもいい、規模は小さくてもいいから、風呂屋をやっていきたい」と、銭湯文化への愛が滲み出る思いを伝えていただきました。
お昼すぎから取材をはじめ、銭湯から出て、ふーっと一服して立ち去ろうとした時に煙突から煙が出始めました。
煙の匂いがかすかにして、お風呂の時間はそろそろです。
下町を中心に銭湯巡り。富士山のペンキ絵が好物。銭湯お遍路挑戦中の絵描きです。
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