都営浅草線 本所吾妻橋にある『荒井湯』。
番台の本田義勝さんに話かけると、とても気さくに答えてくださいました。
『荒井湯』の開業は、戦後まもない昭和25年(1950年)5月。
昭和50年頃までは100軒を超える数の銭湯が墨田区にはありましたが、平成25年の時点で30軒にまで減少しています。なんとも残念。100軒以上の銭湯が存在した頃の街の風景はどんな風景だったのだろうと、ふと思いを馳せます。
どの地域でも減少傾向にある銭湯。そんな銭湯がいまも継続していられるのは、本当に地域から愛されているからこそ。それぞれに特徴があるので、いろいろ巡ってみるとおもしろいものです。
この『荒井湯』さんの売りは、なんといっても「ペンキ絵」。2年に1度ペンキ絵の改修を依頼しているそうで、昭和40年代から変わらず銭湯絵師の中島盛夫さんに描いてもらっているとのこと。
ペンキ絵はとても維持費用がかかるため、タイル張りに変えてしてしまう銭湯も多い中、これだけ頻繁に描き変えているところはかなり珍しいです。
今現在描かれている作品は、葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」(男湯)と「甲州三坂水面」(女湯)。中島さんオリジナルの富士山画ではなく、番台の本田さんがリクエストしたもの。お二人の関係性が伺える、いいお話です。
ちなみに、以前はスカイツリーがモチーフのペンキ絵が描かれていたことも!!
男湯にスカイツリーがある構図で描いてもらった2年後、女湯にスカイツリーがある構図でも描いてもらったとのこと。
浴場に貼られた、たくさんのスカイツリーの写真。これらは、番台の本田さんが「なかなか外に出られない高齢の利用者さんに、ライトアップされたスカイツリーを見せてあげたい」と、考案したもの。
脱衣所には、スカイツリーの置物などもあります。銭湯に設置されているアイテム一つひとつに、たくさんの物語と思いが詰まっているのだと、しみじみ。
下町の銭湯の古い良き雰囲気と深い付き合いのペンキ絵師、そして番台本田さんの人情。体も温まりましたが、なんだか心もほっこりして銭湯を去りました。
銭湯を出ると夕暮れのスカイツリー。スカイツリーはまだ街に馴染んでないように思っていたけれど、無機質なスカイツリーにも、すこし味が出てきたような気がしました。
下町を中心に銭湯巡り。富士山のペンキ絵が好物。銭湯お遍路挑戦中の絵描きです。
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